<独眼竜挑んだ道 生誕450年>鎮守の森、漆黒の甲冑…政宗の足跡 各地に

2017年10月11日

3枚目/6枚中

【境界争い】手前に伊達藩が築いた塚があり、沢を挟んだ向かい側に南部藩が同様の塚を築いた。境界を監視するための御番所が移築復元され画面右側に見える=北上市のみちのく民俗村

 挑戦の痕跡はここにも-。連載「独眼竜 挑んだ道」は仙台藩祖伊達政宗が歩んだ生涯と遺産を巡ってきた。史跡や文化財の一部を写真付きで紹介する。
 深い緑が目を引く鎮守の森。仙台市青葉区北山には伊達家とゆかりのある禅寺が集まる。多くは政宗に従って米沢、岩出山、仙台へ移り寺町を形成した。一族への敬慕を表し、精神的な支えとなる場だった。
 北山の資福寺はかつて山形県高畠町にあった。1572年、政宗の父輝宗が名僧・虎哉宗乙(こさいそういつ)(1530~1611年)を招いて中興開山した。政宗にとって虎哉は帝王学を学んだ恩師。寺跡には参道や輝宗の墓がある。
 政宗が岩出山を居城とした1591年以降、北に隣接する南部領との境界争いが発生した。半世紀を経た1641年、徳川幕府の裁定で決着し、境界上に数多くの塚を築いた。北上市の間沢挟塚(まのさわはさみづか)は国史跡に指定されている領境塚(りょうざかいづか)の一部。江戸期の緊張状態を物語る。
 政宗は鼻筋が通って貴族的な顔立ちだった。霊屋がある青葉区の瑞鳳殿は復元像を所蔵する。1979年の発掘調査で木製のひつぎに納めた遺骨が見つかり、容貌が明らかになった。
 青葉区の仙台市博物館は11月27日まで特別展「伊達政宗 生誕450年記念」を開いている。政宗が愛用した黒漆五枚胴具足は目玉展示として歴史ファンの人気を集める。(生活文化部・喜田浩一、写真部・岩野一英)

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